サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会 San Giorgio in Velabro

ビザンチンの影響があった地域に、7世紀に教皇レオ2世が建てた、聖セバスティアーノ聖ジョルジョに捧げた教会。


歴史

ローマ建国伝説ロムルスとレムスが籠に乗せられ川に流されたどり着いた場所だとされている。エトルリア人の時代から、テヴェレ川の氾濫で土に埋まるまでは、商業の中心で卸市場があった。

3世紀のセウェリアヌス帝の時代の建物が広げられ、5世紀頃は、ギリシャ人の喜捨が建っていた。

教会は7世紀の教皇レオ2世聖セバスティアーノに捧げて建てられた。

8世紀にギリシャ出身のローマ教皇ザカリアスは、聖セバスティアーノに捧げられた教会修復の機会に、カッパドキアから運んだ聖ジョルジョの頭を、ビザンチン商人も通ったこの教会に奉った。

9世紀、教皇グレゴリウス4世が教会を改築し、13世紀に柱廊を加えた。


★ 聖ジョルジョ

聖ジョルジョはパレスチナ出身の軍人だったが、キリスト教信者だったので誰も痛い目に遭わすことができなかった。そのため酷い拷問を受けたが死なせることができず、最後には斬首刑となった。


外観

ファサード

ファサードは小屋型で、1800年代に修復されている。


柱廊

13世紀にゴシック様式まぐさ式構(trabeazione)の柱廊が加えられ、17世紀に教皇クレメンス9世が修復。

4本のイオニア式柱廊と隅に置かれた7世紀の4本の柱がある。

中世初期の頃にこの地域は”Velum Aureum”と呼ばれ、柱廊アーキトレーブに”Velum Aureum”と書かれているのがわかる。(次回探す)

柱廊左には、204年に建てられたフォロ・ボアリウムの古い入り口、アンジェンターリ門(両替商のアーチ)が入り組んでいる。

柱廊下には、教会オリジナルの床、ローマ時代の枠が付いた古い入り口も一部見える場所がある。

1993年の7月27日から28日にかけての夜、爆弾を乗せた車によるテロリズムが発生し柱廊やファサードの壁などが倒壊した。3年かけ修復。


鐘楼

12世紀に建てられた、4階建ての3連窓のある鐘楼。



教会内部

入り口側が広くなっている複雑な平面のバジリカ式の教会。柱頭がイオニア式コリント式があり、様々な種類の大理石の円柱で仕切られた三廊式。


8から9世紀の聖歌台のあるトランゼットの一部が壁に見られる。


身廊の天井フランチェスコ・アヴァッリ設計(Francesco Avalli)


アプス

半円型の後陣(アプス)には、枢機卿ジャコモ・カエターニ・ステファネスキが依頼した13~14世紀のフレスコ画は、ピエトロ・ヴァッリーニか弟子の作品である。

救い主イエスと馬に乗ったサン・ジョルジョ、聖母マリア、聖ピエトロと聖セバスティアーノ

祭壇天蓋 聖ジョルジョの頭部

主祭壇は7世紀、中世初期のコズマーティ様式で、4つの円柱で支えられている。

天蓋内下には、聖ジョルジョの頭部と剣、マントの裾が奉られている。

12世紀の天蓋は、コリント式の一連の柱は、角錐台の屋根を支えている。

正面はバロック様式だったが、1923年と1926年に教会を中世の雰囲気に戻すため、身廊の窓を開け、床を大理石にした。



修道院 Collegio dei Padri Crocigeri

隣は修道院 (次回詳しく調べる)

1700年代の建物

アゴスティ―ノ会 1612~1743

フランチェスコ会 1748-1750

アゴスティ―ノ会 1750-1798

Crocigeli 1938~


写真集

近くの建物屋上から見た教会


情報

公式HP



関連ページ

アルジェンターリ門 Arco degli Argentari



ヤヌスの門 ARCO DI GIANO 

詳しくは下のページへ

 http://www.romanoimpero.com/2010/04/arco-di-giano.html



ヴェラーブロ Il Velabrum 

詳しくは下のページへ



アウレリア街道

詳しくは下のページへ



EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

イタリア在住15年。現在住んでいるローマを中心に旅した記録をまとめるサイトです。 ブログは、ほぼ毎日アメーバブログで書いています。 http://ameblo.jp/edicola コラムニスタとしてイタリア関連の記事も書いています。 お気に入り旅写真をアップし、地域別におすすめイタリアの小さな可愛い街の旅行記をまとめていきます。

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