マッシモ・アッレ・コロンネ宮 Palazzo Massimo alle Colonne
ナヴォーナ広場の南の、ドミティアヌス帝のオデオン劇場があった場所に建てられた、マッシモ・アッレ・コロンネ宮(Palazzo Massimo alle Colonne)である。
1527年のローマ略奪で完全に破損したため、1532年~1536年、マッシモ家がバルダッサーレ・ペルッツィ設計でマニエリズム様式に再建した。バルダッサーレ・ペルッツィが亡くなる2年前だった。
伝説
1583年3月16日に奇跡が起こった。3階の礼拝堂で聖フィリッポ・ネーリがマッシモ・ファブリツィオの息子パオロを蘇らせた部屋がある。毎年3月16日に一般公開されるイベントが行われる。
★ マッシモ家
マッシモ家の子孫は、紀元前3世紀にハンニバルと戦った執政官クィントゥス・ファビウス・マクシムス(Quinto Fabio Massimo)で、ファビウス氏の先祖はヘーラクレースとニュンペーであるとされているため、マッシモ家のシンボルとしてに子供のヘラクレス(Ercole Infante)が使われる。
ポルティコの天井のマッシモ家の紋章
マッシモ家の人は良心的で、19世紀にナポレオンとの間を取り持っている。
外観
ファサードはヴィットリオ・エマヌエーレ通り側。道が劇場があった様にカーブしているため、それに沿って建物もカーブさせ神殿風に円柱を並べて設計されている。バルダッサーレ・ペルッツィの師匠ブラマンテの影響が見られる。
上階の小さな窓や、中庭、玄関の間などが漆喰装飾されている。
マッシミ広場側のマッシモ・イストリアート宮(Palazzo Massimo istoriato)と名が付く建物のファッチャータには、ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラかポリドロ・ダ・カラヴァッジョ(Polidoro da Caravaggio)作とされているルネッサンス様式、グリザイユ(灰色の単彩画)のフレスコ画装飾がある。
情報
ヴィットリオ・エマヌエレ2世通り
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