ティツィオ・ダ・スポレート邸 Palazzetto di Tizio da Spoleto S. エウスタキオ広場
サンテウスタキオ広場のパロンベッラ通りの角の、1520年代のティツィオ・ダ・スポレート邸(Palazzetto di Tizio da Spoleto)は、後にパウルス3世となったアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿の商工会議所で働く所長の邸宅だった。
2階建てで、窓枠などにファルネーゼ家のシンボルの渦巻と百合デザインが漆喰装飾で使われている。
★ フェデリコ・ズッカリ『聖エウスタキウスの生涯』
1560年、ファッチャータにフェデリコ・ズッカリが『聖エウスタキウスの生涯』のシーン、『改宗』『洗礼』『殉教』を描いた。
次回窓のアーキトレーブをよく見る
上が聖エウスタキウスの改宗
メディチ家の紋章(1560年のピウス4世、アンジェロ・メディチ)と、フォルテッツァとジュスティツィア
★ 聖エウスタキウス
元の名はプラキドゥス(Placidus)といい、トラヤヌス帝に仕えるローマ帝国の将軍であった。プラキドゥスがローマ郊外のティヴォリ近郊で狩りをしていた時、鹿に出会い、角がキリストの十字架に見えた伝説がある。そのことから聖エウスタキウスのシンボルに鹿が使われる。
聖エウスタキウスは、ハドリアヌス帝の時代に殉教した。
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