アーゾロ Asolo
ヴェネト州 トレヴィーゾ県
要塞、フレスコ画で飾られた建物
「イタリアの最も美しい村」クラブに加盟 p184
ラテン語でAsylum
15世紀末から16世紀初頭にかけては、ヴェネツィア共和国にキプロス王国の統治権を譲った女王カタリーナ・コルナーロが宮廷を置いた。
見どころ
★ ガリバルディ広場
サンマルコのライオンのある噴水
柱廊のある1400年代の建物ふたつ
★ Castello della Regina
★ Teatro Duse
市民の塔がある
★ Palazzo Beltramini
現在は役所として使われている。
★ ドゥオーモ
1747年完成。ロマネスク様式のファッチャータが残る。
教会内部にはロレンツォ・ロットのL'Assunta1506年が必見
★ ロッジャ Roggia della Ragione
アーゾロの司法長官(Podestà)の紋章がある。広場側のファッチャータにContariniのフレスコ画。
★ Palazzo Polo
三連窓
★ Casa Tabacchi
ロバート・ブラウニングの『Asolando』
★ Fontanella Zen
★ フレヤ邸宅 Villa Freya
フレヤ・スタークの家
★ ベルヴェデーレ
カノーヴァ通りは1547年までイスラエル人のコミュニティーがあった。
★ カノーヴァ通りのCasa Duse
★ Porta Santa Caterina
★ Casa De Maria
★ Santa Caterina教会
1300年代のフレスコ画
★ Palazzo Psquali
1797年にナポレオンが泊まった碑文がある
★ Casa della Longobarda
★ Villa Contarini
★ Villa Scotti Pasini
via Dante
★ ベネディクス派の旧サン・ピエトロ修道院
★ 要塞 Rocca
Porta Colmarionから276段の階段から素晴らしい眺望のリッコ山頂の13世紀の要塞。
★ マリピエロ邸 Casa Malipiero
南のPorta LoreggiaとForesto vecchioを行くとヴェネチアの音楽家マリピエロの家がある
★ San Gottardo教会
★ 墓地
女優エレオノーラ・ドゥーセと探検家フレヤ・スタークの墓
アーゾロゆかりの人物
★ 英国出身の詩人ロバート・ブラウニング
19世紀イギリスの詩人ロバート・ブラウニングはアーゾロに住み、1841年、代表作の劇詩『ピッパが通る(Pippa Passes)』を著した。『ピッパが通る』はアーゾロの紡績工場で働く少女ピッパを主人公としたこの町を舞台とした作品である。ピッパが歌う詩の一節 "God's in his heaven. All's right with the world."は、上田敏訳による「神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し」(『海潮音』に「春の朝」として収録)で知られる。
★ 聖アンナの墓地には女優エレオノーラ・ドゥーセが永眠する
女優エレオノーラ・ドゥーセ(Eleonora Duse)
★ 作曲家ジャン・フランチェスコ・マリピエロ
アーゾロ詩集(1916年)Poemi Asolani 1. La notte dei morti 死者の夜 2. Dittico 3. I partenti
★ 探検家フレヤ・スターク
イギリスの探検家フレヤ・スタークは、幼少期の大半はアーゾロで過ごし、世界を旅した後アーゾロで没した。
バイオリニストのウィルマ・ネルーダ (Wilma Neruda) も暮らしていた。
歴史
この町はもともとウェネティ人の集落であり、プリニウスの著作には Acelum として言及されている。
6世紀後半(588年もしくは591年)にマラーノで開催された教会会議の記録には、出席者の一人の名が Agnellus episcopus sanctae Acelinae ecclesiae と記されており、この時期には Acelum と呼ばれていたことがわかる。
その後、9世紀前半(827年もしくは835年)にマントヴァで開催された教会会議の記録では出席者の一人の名が Arthemius episc. Asolensis とあり、この頃までにアーゾロという地名が使われるようになったと考えられる。
899年、この町の付近で、マジャール人の軍勢がイタリア王ベレンガーリオ1世の軍勢を破っている。
969年、皇帝オットー1世は、アーゾロ(Acelum)司教区の領域をトレヴィーゾ司教区に移譲しているが、これは先のマジャール人の侵攻の際に都市が破壊されたことと関連しているかもしれない。
1049年、教皇レオ9世の下で開催されたローマでの教会会議では、出席した司教の一人が「アーゾロのウーゴ」と呼ばれている。しかし、実際に司教は赴任してはおらず、Acelum司教はカトリック教会の名義司教として現代に至っている。
中世初期、アーゾロはエッツェリーノ家 (it:Ezzelini) の所領であった。その後1489年、キプロス女王カタリーナ・コルナーロが王国の統治権をヴェネツィア共和国に引き渡すのと引き換えに、ヴェネツィア共和国はカタリーナにアーゾロを与えた。アーゾロはカタリーナの領地の首都、また宮廷の所在地となった。しかし1509年にカンブレー同盟はアーゾロを占領・略奪した(カンブレー同盟戦争)。カテリーナはヴェネツィアに亡命し、1年後に死去した。彼女の治世において、画家ジェンティーレ・ベリーニや人文学者・枢機卿ピエトロ・ベンボはその宮廷の一員であった。
1798年、カテリーナ・コルナーロのアーゾロ城 のホールが改修され、アーゾロ劇場が設立された。なお、この劇場はのちにアメリカ合衆国のフロリダ州によって購入され、1950年代に解体されてサラソータのジョン・アンド・メイベル・リングリング美術館に移築された。(当初は展示物であったが、さらに移築されて劇場として利用されている)
特産品
★ スパークリング・ワイン Asolo Prosecco Superiore
DOCG
郷土料理
Risi e Bisi
Risotti
Coniglio in Tecia
Frittata Rognopolenta e costitine
Oca arrosto e al forno
Radicchio condito con lardo
Sarde in saor e bigoli in sarsa
イベント
音楽祭
Festival del viaggiatore 9月末
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