チルコ・マッシモ Circo Massimo
★ ローマ建国伝説
ロムルスらがコーンスス神の祭にサビニ人を招待し、女たちをさらった。その後のローマ神話の穀物の神コーンスス(Consus)に捧げる宴が催されたのがここであるとされている。
★ チルコ・マッシモ
ローマで最初の戦車競走の競技場が、大タルクイニウス(タルクィニウス・プリスクス)により、パラティーナの丘とアヴェンティーノ丘の間のムルチャの谷に作られた。当初は木製のシンプルな競技場だった。チルコ・マッシモは、最大の戦車競技場という意味である。
競技場は長さが約600m、30万人以上の観客が収容できた。一時期古代ローマ時代では一番大きな競技場だった。紀元前2世紀から549年まで競馬や闘牛など動物たちとのイベントなどが行われた。
紀元前33年、スピーナと呼ばれる中央分離帯を設置した。スピーナには、7つのブロンズのイルカと、中心にオベリスクと、7つの丸いブロック、神殿などが、何周するか数えるために置かれた。
ハドリアヌスが設置した階段状の観客席部分が、パラティーノ側に状態よく残っている。
オベリスクは紀元前10世紀に、アウグストゥスがヘリオポリスから運んできた紀元前13世紀のオベリスクをここへ設置した。現在そのオベリスクはポポロ広場に置かれている。
2本目のオベリスクは、4世紀にコスタンティヌス2世が設置。現在はサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の裏の広場に見られる。
★ 地下祭壇 ミトラの神殿
中央地下にコーンススの祭壇があり、祭の日のみ掘り出された。祭ではウェスタの巫女とクゥイリーヌスのフラーメンが犠牲を捧げ、初穂の奉納と競技、ラバによる競馬が行われ、祭のあいだ馬とロバには休みが与えられた。
★ 中世の塔
Torre_della_Moletta
イベント
ブログ
2015.09.11
2017.04
0コメント