グラツィオーリ宮 Palazzo Graizioli
16世紀の建造物。ジャコモ・デッラ・ポルタ(Giacomo della Porta)設計。
歴史
ゴッティフレーディ家が1700年代まで所有。1645-1650年、カミッロ・アルクッチが修復。1800年初頭、エルコラーニ家所有となり、1806年にオーストリア大使に賃貸。その後、スペイン、ボルボン朝のマリア・ルイーザ、スペイン、ルッカなどの貴族に賃貸していたが、1824年にエルコラーニ家の所有者が亡くなった後、カステル・ポルツィアーノ公でありサンタ・クローチェ・ディ・マリアーノ公でもあったヴィンチェンツォ・グラツィオーリが購入。
1863年に建築家アントニオ・サルティに依頼。現在のグラツィオーリ広場側に増築、1874年に完成したことが中庭に碑文に書かれている。
1877年にグラツィオーリ広場側に新しい中庭などを増築し、もう一つのファッチャータ、階段を増築。
プレビシート通り側のファッチャータには、2つの花崗岩の円柱、バルコニーとグラツィオーリ家の紋章がある。
建物角には天蓋があった場所に1800年代のエディーコラ。
現在は個人所有。所有者はジュリオ・グラツィオーリ(Giulio Grazioli)-ランテ・デッラ・ローヴェレ(Lante della Rovere)である。
イタリア元首相ベルルスコーニがピアーノ・ノービレ(二階部分)を借りていることで有名。玄関にはミリタリーが警備に常駐。
玄関アーチ上の二階部分は舞踏会用の大広間がある。
中庭
ファッチャータからは見れない二階部分に小さな窓がある小部屋が存在するのは、使用人用だった。
ガッタ通りの大理石の猫
ガッタ通りには、建物から大理石のガッタ(メス猫)が通りを見下ろしている。ローマ時代にこの地に存在したイシデ神殿からの発掘品で、1874年のアントニオ・サルティ設計の修復時につけられた。
この大理石の猫については様々な伝説がある。子供が窓から落ちそうになってるのを、ここに住んでた猫が子供の両親に向かってニャーニャー鳴いて助けた記念、猫が火事が起こってることを知らせた記念、猫がここに埋蔵金があると言ってる、など。
グラツィオーリ広場側のファッチャータはアントニオ・サルティ設計。
1911年10月28日にトルコとの戦争でなくなったリッカルド・グラツィオーリ・ランテ(Riccardo Grazioli Lante)の名誉勲章記念碑がある。
グラツィオーリ宮殿 Palazzo Graizioli
住所 Via del Plebiscito, 102
写真集
ガッタ通り側の外観
ブログ
参考
Wikipedia
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