サンタ・マリア・デル・ポポロ教会

ローマ帝国の第5代ネロ皇帝 Nerone(Sepolcri dei Domizi Enobarbi)の墓があった場所に、ローマ教皇パスカリス2世(Papa Pasquale II)が、1099年に建設した教会。ネロ帝の墓があった場所に、ポプラの木pioppo(ラテン語 populus)があったことから、この教会の名に使われている。

教会外部

ファサード


ゴシック様式の鐘楼 Campanile

1227年、ローマ教皇グレゴリウス9世(Papa Gregorio IX)がゴシック様式に再建。1231年に

ビザンチンのイコンをラテラノ大聖堂より移設。その時期のゴシック様式の土色の鐘楼が現在も残る

ルネッサンス様式のクーポラ(丸屋根)



教会内部

十字の形をしたルネッサンス様式の内部


ネロ帝を埋葬するドミティアヌス家の墓 Mausoleo dei Domizi Enobarbi

信心深いパスカリス2世が、第1回十字軍エルサレム征服記念として、また、カラスの行動から、ネロ帝の墓から夜中に魂が彷徨っていると感じたため、墓を取り壊し、魂を沈めるためこの場所に教会を建てた。

伝説によると、この場所には、ローマ皇帝ネロを埋葬するドミティアヌス家の墓があり、そこに生えていたクルミの木に悪魔が住みついていると人々に恐れられていた。パスカリス2世は、夢に現れた聖母マリアのお告げ通りにクルミの木を切り倒し、ネロの遺体を焼いて遺灰をテヴェレ川に流したところ、悪魔は現れなくなったという。その事を感謝して、パスカリス2世が市民に呼びかけ、聖母マリアに捧げる教会を建てたと言われる。

ウィキより

ローマ郊外北部にあるネーロ帝の墓(Tomba di Nerone)と名付けられているものは、間違いである。



右廊の初め

Cappella Della Rovere 

Cappella del Presepio もしくは Cappella di S.Girolamo

大理石部分は、Andrea Bregnoと恐らくGiovanni Dalmataの作品。

ピントゥリッキオ  Cappella del Presepio

15世紀 『Natività con S.Girolamo』Domenico Della Rovere al Pinturicchio 

『Vita di S.Girolamo』、多分、Tiberio d'Assisiも参加。左の二段目の男性はピントゥリッキオの自画像だと言われている。



カラヴァッジョ


ラファエッロ


ベルニーニ




参考

EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

イタリア在住15年。現在住んでいるローマを中心に旅した記録をまとめるサイトです。 ブログは、ほぼ毎日アメーバブログで書いています。 http://ameblo.jp/edicola コラムニスタとしてイタリア関連の記事も書いています。 お気に入り旅写真をアップし、地域別におすすめイタリアの小さな可愛い街の旅行記をまとめていきます。

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