サンタ・アナスターシャ・アル・パラティーノ聖堂 Basilica di Santa Anastasia al Palatino
サンタ・アナスターシャ・アル・パラティーノ聖堂(Basilica di Santa Anastasia al Palatino)は、チルコマッシモの側にある17世紀のバロック様式の教会。大アナスタシアに捧げられた教会である。
★ 大アナスタシア
大アナスタシア(シルミウムのアナスタシア、Anastasia di Sirmio)はシルミウム(現在のセルビア)でローマ貴族の家系に生まれた。ディオクレティアヌス帝の治世下でキリスト教への迫害で殉教した。聖体はコンスタンティノープルに運ばれた。
ローマでは5世紀から崇拝されていた聖人。ローマでの祭日は12月25日で、現在のカトリックにおけるクリスマスの早朝のミサは本来は彼女の記念のためのミサだった。
布と焚火(?)の聖人。
歴史
アナスターシャを祀る神殿がビザンチンらにより、パラティーノの皇帝の邸宅敷地内に建てられた。そのため教会地下には遺跡が眠る。
5世紀のローマ教皇レオ1世がこの地に住み、4世紀の聖ヒエロニムスの説教に関連して、聖体をこの聖堂へ運んだとされている。
ダマスス1世、ヒラスス教皇、ヨハネス7世、レオ3世、グレゴリウス4世の時期と、教会は何度も修復された。現在見られる聖堂は、1636年のバルベリーニ家出身ウルバヌス8世の時代のもの。最終の修復は19世紀。
18世紀までは、灰の水曜日に教皇が司祭を務める行列の出発点であり、四旬節のミサが行されたサンタ・サビーナ聖堂で終わりました。
外観
17世紀のバロック様式。
ファッチャータは、1636年のバルベリーニ家出身ウルバヌス8世の時代のもの。教皇の紋章があり、上部には大理石の燭台が乗っている。
教会内部
3廊式。古い異教徒の教会から使われている円柱が現在の教会を支えるために再利用されている。
主祭壇には、1667年にベルニーニ仲間のエルコレ・フェッラータ(Ercole Ferrata)により彫られたアナスタシアの像。
主祭壇左のトランゼットには、ネオ・クラシックのジュヴァンニ・マリア・ベンゾーニ(Giovanni Maria Benzoni)作、アンジェロ・マージ枢機卿の墓(Tomba di Cardinale Angelo Maj)がある
1658年頃の、キャンバスに描かれたピエル・フランチェスコ・モーラ(Pier Francesco Mola )作『砂漠の洗礼者ヨハネ』と、ラザロ・バルディ(Lazzaro Baldi)と共同制作者による大量のキャンバス、フランチェスコ・トレビザーニ(Francesco Trevisani)作『聖トゥリビオ』の絵画が収められている。
ブログ
0コメント