サンタ・ブリジダ教会 Chiesa di Santa Brigida
18世紀のスウェーデン国教会。
歴史
1373年に殉教した聖ブリジダに捧げられた教会。8人子供を産み、その一人が後のスウェーデンの聖カタリナである。
1350年頃からビルギッタと娘はローマへ向かい、ここに亡くなるまで住んでいた。
ブリジダの家には礼拝堂があり、ボニファティウス9世の時代に聖人化した1391年に、スウェーデンからの巡礼者のための病院も建てられた。
スウェーデンが16世紀にルーテル教会の信仰を受け入れたとき、ヴァドステナ修道院との関係は終わり、亡命中のウプサラの大司教であるオラオマグノによって占領された。
1557年、教皇ピオ4世はサンタ・マッダレーナ改宗者に施設の管理を委託したと同時に、教会は枢機卿の保護下に置かれた。
1589年、教皇シクストゥス5世がサンタ・ブリージダの家をポーランドの王でありスウェーデンのカトリックの王であった、ヴァーサのシジスモンド3世に寄贈した。
17世紀の前半に、枢機卿の保護の下で、教会の最初の修復が行われた。 現在の建物は、ピエトロ・ジャコモ・パトリアルカによって監督された18世紀初頭の拡張工事によるもの。 内部の装飾はビアジョ・プッチーニ(Biagio Puccini)に委託された。
その後、教会と併合された施設は数回手入れがされた。ポーランドの王の後にブリジディーニの宗教家が引き継いだ後、19世紀の初めにトラステヴェレのサンタ・マリア、その後にサンタ・クローチェ教会、そして1931年まで教皇ピオ11世が制裁を下した1931年まで、所有していた母のカルメル会ブリジジン修道女へと移った。
所有者はみな、教会とサンタブリジダの部屋の修復と近代化を行った。
特に、教会の現在の装飾は、19世紀の終わりにカルメル会により実施され、建築家ラファエレ・インガミに委託した影響が大きい。
外観
1705年のファサードの特徴は、最下階から2つの側柱が取り外され、聖ブリージダと聖カテリーナの像はアンドレア・フチーニャ作。
鐘楼は1894年のもの。
教会内部
単廊式。樽形の丸天井。内陣とニッチの内側に2つの側の祭壇がある。
1709年から1711年の間に、ビアジオ・プッチーニによるフレスコ画では、聖ブリジダの栄光がを表している。 聖人の生涯エピソードで側壁に飾っている6つの絵画は、同じプッチーニによるもの。
反対側の正面には、1705年の木製聖歌台のロフトがある。
情報
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