ボルジアの階段 Scalinata dei Borgia または Vicus scelleratus
ローマのコッレ・エスクイリーノ地区、ボルジアの階段(Scalinata dei Borgia)と呼ばれている場所は、ボルジアの坂とも呼ばれており、ボルジア家の陰謀に加えて古代ローマの殺人も関連してくる。
カブール通りからサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会へ向かう坂道である。
古代ローマ
★ Vicus scelleratus
“Vicus Sceleratus”と呼ばれていたこの場所には古代ローマの伝説がある 。
紀元前535年、セルウィウス・トゥッリウス(Servio Tullio)の殺人現場である。自分の娘小トゥッリアと、その夫タルクィニウス・スペルブスに殺された。その時娘が馬車で父親の死体の上を走ったと言われる。
ルネッサンス期
★ ボルジア家の愛人のための宮殿
階段上の建物が、ボルジア家出身の教皇アレクサンデル6世の愛人のための宮殿だった。息子はチェーザレ・ボルジア、娘はルクレツィア・ボルジアで、母親の実家はカンポ・デ・フィオーリ広場に面した宿屋である。
スペインの貴族ボルハ家(Borja)は15世紀にイタリアに入り、イタリア語風でボルジア家(Borgia)と呼ばれ、1455年アラゴン王冠の一部であるバレンシア王国から枢機卿アロンソ・ボルジアがローマ対立教皇カリストゥス3世に選出されるためローマに来た。
妹イサベルの息子ロドリーゴ・ボルジア(後のアレクサンデル6世)姉カタリーナの息子ルイス・フアン・デ・ミーラを枢機卿に登用しただけでなく周囲を親戚ばかりを登用したため、大衆の怒りを増大させた。
教皇となったボルジア家のアレクサンデル6世は、教皇選出中の愛人との不誠実な秘密の関係が、彼の仕事より歴史に残されている。
アレクサンデル6世の子供たちは、ほとんどが教皇と関係があった愛人たちとの子供である。
マントヴァの貴族の出身、ヴァンノッツァ・カッタネイは非常に賢く、4人の子供チェザーレ・ボルジアやルクレツィアらを授かった。チェーザレらの兄弟ホアンが行方不明になり、テヴェレ川で死体で見つかった。犯人はチェーザレだと噂が広まり、他の兄弟も関わったとされたため犯人捜しは打ち切られた。マキャヴェッリに影響を与えた”冷酷な統治者の好例”とされた一族である。
★ ボルジアの階段
比較的新しいカヴール通りには車や人の往来が多いが、急階段を上がると城壁内で守られる感じの静けさがある。階段上の宮殿がもつバルコニーはヴァンノッツァのバルコニーと呼ばれ、教皇の愛人と3人の子供が住んでいたため愛人ヴァンノッツァの名が付けられていた。アーチが素敵な雰囲気。
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2019.03
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