マッシモ・イストリアート宮 Palazzo Massimo istoriato
ファサードの外壁フレスコ画が素晴らしいマッシモ家の建物。マッシミ広場は、郵便物の配達の出発点だった。マッシモ家の邸宅は、教皇庁の郵便局であった。
1467年にこの宮殿の1階が Arnold PannartzとConrad Schweynheimによりローマで初めての印刷所として使われ、マルクス・トゥッリウス・キケロ(Marco Tullio Cicerone)の初めての本Epistolario "Epistolarum ad familiares" が刷られたことはほとんど知られていない。
★ マッシモ家
マッシモ家はヨーロッパでも最も古い、ローマの古代からの貴族Gens Flavia、クィントゥス・ファビウス・マクシムス(Quinto Fabio Massimo il Temporeggiatore)という、ハンニバルからローマ帝国を救った人物の末裔である。
建物外観
オリジナルはファッチャターが2面あり、ルネッサンス様式の低い入り口アーチの上には "CAMILLIS MAXIMUS"と"RESTITUIT AD MDCCCLXXVII"と書かれていた。
1523年にドメニコ・デ・マッシミが、息子アンジェロ・マッシモとアントニエッタ・プランカ・デリ・インコロナーティとの結婚を記念して、旧約聖書の12の場面の壁画を描かせた。
研究者によると、3階中央の窓の間の『ユディト記』の『アハシュエロスの斬首』と 『アハシュエロスの頭の』の場面が重要だったとされる。
ユディトの生涯からの『アハシュエロスの前のエステル』もしくは『ユディトとホロフェルネスの初めての出会い』と、『ホロフェルネスの頭を見せるユディト』『処女の結婚』『ホロフェルネスとAchiorの対話』『ベトリア市民を慰めるユディト』『ユディトの真剣な祈り』『ベツリアの門から召使いと共に出かけるユディト』などが描かれていたとされる。
2階と3階の間に描かれるシーンは、『ベトゥリアの武装した人々は山から降りて、アッシリアの野に投身』と、『ホロフェルネスの使用人はカーテンを開け指揮官を起こし、殺されているのを発見』の場面である。
2階部分の壁画はほとんど失われたが”勝利の翼”が描かれていた可能性がある。
1階部分は小さなレンガに描かれている。
誰の作品かははっきりしていないが、Daniele da Volterraの弟子Polidoro da Caravaggioのものだという説や、1877年のルイージ・フォンターナによる修復時に見つかったサインから、Nicolò Furlano(ファッチャータの壁の碑文にも書かれている)とされる設もある。
★ ドミティアヌス帝のオデオンの円柱
86年にドミティアヌス帝が建造したオデオンの遺跡(ドミティアヌス帝のオデオン劇場)の上にマッシミ家の邸宅 "Insula Massimi"が建てられた。
1950年、宮殿前に、ドミティアヌス帝のオデオンの円柱が設置された。
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★ マッシモ・アレ・コロンネ宮
1532年~1536年、マッシモ家がバルダッサーレ・ペルッツィ設計で再建した。マッシモ・イストリアート宮より新しいため"新邸宅(Domus nova)"と呼ばれていた。
1583年3月16日の奇跡、3階の礼拝堂で聖フィリッポ・ネーリがマッシモ家の息子を蘇らせた部屋がある。
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