ピエトロ・パオロ・デッラ・ゼッカの邸宅 Casa di Pietro Paolo Francisci della Zecca


モンセッラート通りとペッレグリーノ通りの間に建つ1420年代の建物は、ふたつの地区の境にあり、ピエトロ・パオロ・デッラ・ゼッカの邸宅(Casa di Pietro Paolo Francisci della Zecca) または Chiavica di ponteと呼ばれる。モンセッラート通り2番地


この邸宅は、1464年~1471年の教皇パウルス2世の時代の、教皇領の造幣局の責任者の邸宅だった。

1452年に、オーストリア公フェデリコ3世と結婚したエレオノーラ・ディ・ポルトガッロも住んでいた。 



建物外観

1420年頃の邸宅で、小さなレンガ造りのアーチの柱廊がある中庭がある。最上階はロッジャになっており、外壁にズグラッティーティと呼ばれる装飾がある。

ファッチャータ

★ ズグラッフィーティ、ローマの英雄クロエリア

ファサード外壁デザインは、Polidoro da Caravaggio e Maturino da Firenzeの作品。エトルリア王ラルス・ポルセンナ(Porsenna)と敵対した若いローマの英雄クロエリア(eroina Clelia)が描かれている。クロエリアがポルセンナから逃げてテヴェレ川を渡った場所にこの邸宅が建てられた。



サンタ・マリア・デッラーニマ教会の中庭に移された遺跡

ナヴォーナ広場近くにあるサンタ・マリア・デッラーニマ教会(S.Maria dell'Anima)の中庭には、かつてこの建物右側の外壁にあった大理石の碑文と紋章が置かれている。


★ ハプスブルク家の鷲のマーク

建物右側にはハプスブルク家の鷲のマークの紋章がある。1870年にローマがイタリアの首都となった時、この紋章は剥がされ、ドイツの国教会のS.Maria dell'Animaの中庭に置かれ現在も見られる。


★ A.E.I.O.U. 

ファッチャータに、 モットーが書かれている。

A.E.I.O.U. (= "AUSTRAE EST IMPERARE ORBI UNIVERSO" = "世界を制圧したオーストリアというような意味")

東帝国オーストリアに警告したオルビ・ウニヴェルソ A.E.I.O.U.とは、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世(1415年 - 1493年)が好んで用いた略語句。



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2020.09


EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

イタリア在住15年。現在住んでいるローマを中心に旅した記録をまとめるサイトです。 ブログは、ほぼ毎日アメーバブログで書いています。 http://ameblo.jp/edicola コラムニスタとしてイタリア関連の記事も書いています。 お気に入り旅写真をアップし、地域別におすすめイタリアの小さな可愛い街の旅行記をまとめていきます。

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