アルトヴィーティ宮 Palazzo Altoviti
ローマのテヴェレ川沿いにかつて存在したアルトヴィーティ宮(Palazzo Altoviti)は、ビンド・アルトヴィーティにより1514年に建設されたルネッサンス様式の建物。ジョルジョ・ヴァザーリもこの建物建設に参加していた。サンタンジェロ橋の広場にファッチャータがあったが1888年に堤防建築のため解体された。1932年ヴェネチア宮殿にアルトヴィーティ家の部屋が設けられた。
★ アルトヴィーティ家
アルトヴィーティ家の起源は不明だが、ロンゴバルド族や、マルクス・フリウス・カミッルスを先祖に持つとも言われるフィレンツェの商人の家系で、メディチの覇権統治を逃れフィレンツェからローマに活動拠点を移した。ローマのヴェネチア宮殿にもアルトヴィーティの部屋がある。
倒壊された部分はフィレンツェのポンテ・ヴェッキオ近くの建物の様であった。上階にロッジャ(テラス)がある。1751年、考古学者エンニオ・キリノ・ヴィスコンティの生家でもある。
★ ファジョーリ城の塔
中世の塔(Torre del Castrum Fajoli)は、古代ローマの氏族フリウス氏族と繋がるアルトヴィーティ家が所有していたと思われる。
サンタンジェロ城前からの景色。
★ ビンド・アルトヴィーティ
ビンド・アルトヴィーティは、1491年ローマ生まれの銀行家である。ローマ教皇ユリウス3世(Giulio III Ciocchi Del Monte)に仕えていたアルトヴィーティ家である。
ルネッサンス期の芸術家の友人が多く、ラファエッロやベンヴェヌート・チェッリーニが制作した肖像が残っている。
ビンド・アルトヴィーティが永眠するフィレンツェのサンティ・アポストリ教会に、1541年頃ヴァザーリに依頼した絵画『受胎の寓話』がある。フィレンツェの洪水で大損害に遭った。
★ ビンド・アルトヴィーティの肖像画
ラファエッロが1512年から1515年に描いた、20歳から24歳頃のビンド・アルトヴィーティの肖像画。ラファエロ本人の肖像画だと長く考えられていた。弟子ジュリオ・ロマーノが少し手を加えてる部分もある。
1808年までアルトヴィティ家の子孫が所有していたが、 バイエルン国王ルードヴィヒ1世に売却。現在はワシントン、ナショナルギャラリーに展示されている。
★ ビンド・アルトヴィーティの胸像
ビンド・アルトヴィーティの胸像(Busto di Bindo Altoviti)は、ベンヴェヌート・チェッリーニ作。ミケランジェロがこの胸像を見た時、”古代の作品より良い”と批判し気に入ったという。現在はボストン、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館に展示。
★ ヴェネチア宮殿のアルトヴィーティ家の部屋
アルトヴィーティ宮の解体時にヴェネチア宮殿に運ばれ、アルトヴィーティの部屋が設けられた。ジョルジョ・ヴァザーリが描いたフレスコ画が展示されている。1553年11月に3週間で仕上げたと言われる。
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