マルケルス劇場 Teatro Marcello
マルケルス劇場(Teatro Marcello)は、カエサルが建設開始し、アウグストゥス帝が完成させた。ポンペイウス帝の劇場の次に大きい劇場で、コロッセオ建造にも影響を与えた。2万人の観客が収容できた。現在までローマ城壁内に状態よく残っているのはマルケルス劇場のみである。
古代ローマ
★ 木製劇場
共和制ローマ時代には、この場所にはチルコ・フラミニオ(競馬場)があり、戦勝者による凱旋行列も行われた。平民が貴族の支配に対抗して自主的に集まった会合、プレブス民会(Concilia plebis)や、宗教的な祭り(Ludi plebei)もしばしばここで行われた。
そのため地域はいつでも多くの人が集まっていたが、城壁内の劇場は木製で終了後、壊されていた。初めてここで演劇を行ったのは、紀元前55年のポンペイウス帝であった。紀元前17年に、百年祭り競技が行われた。
★ マルケルス劇場建設
マルケルス劇場建設はカエサルの命で始められ聖地されたが、カエサルは暗殺され、後にアウグストゥス帝が紀元前13年に完成させた。劇場名はアウグストゥス帝の甥で娘の婿のマルケルスに捧げる劇場となった。しかしマルケルスは完成2年前の19歳で亡くなっている。
紀元前13年か紀元前11年に、アウグストゥス帝の甥で娘の婿のマルケルスに捧げる劇場の献堂式が行われた。
上の写真右はアポロ神殿跡。古代ローマ人が建てた神殿で、紀元前2世紀にギリシャから持ち寄った美術的に素晴らしい作品として残る。その隣にはローマ神話における戦争の女神ベッローナ神殿もあった。
★ チェスティオ橋の建設に再利用
洪水、地震、火事などの災難に襲われ、さら周辺の建造物、チェスティオ橋の建設に大理石など持ち出された。ドーリア式、イオニア式の2階までは比較的状態よく残っているが、3階のドーリア式の部分はほとんど崩れている。
劇場をよく観察すると、建物を支える鉄などが見られる。
1900年代の発掘で大理石の欠片や劇場で使われていた大きなマスクなどが見つかり、現在ではアルジェンティーナ劇場内で見ることができる。
中世から
1100年頃、ファビウス氏族が要塞として使い、13世紀にはピエルレオーニ家が立派な要塞に。
1523年、貴族サヴェッリ家がシエナ出身のバルダッサーレ・ペルッツィに依頼し、上部に邸宅を建設。
18世紀オルシーニ家により改築され、テヴェレ川を見下ろす庭園もあった。劇場外側のアーチには職人の工房などが構えられた。
近年
1926年、劇場周囲の建物を取り壊し、劇場が復元された。現在の地上より深く掘り下げ古代の地上まで発掘作業が行われたのである。
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参考
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