サンタ・マリア・イン・アラーチェリ教会 Basilica di Santa Maria in Ara coeli
サンタ・マリア・イン・アラーチェリ教会(Basilica di Santa Maria in Ara coeli)は、サンタ・マリア・イン・アラーコエリ教会とも言われる。オリジナルはSanta Maria in Capitolioと言われていたが、1323年に現在の名に。
伝説
アウグストゥス帝がここで『幼子を抱く聖母』の夢を見たことと、『天の祭壇(アラーチェリ)』がここに建つという巫女からのお告げを聞いた、という伝説から建てられた教会。
歴史
6世紀には既に存在していた教会を、フランシスコ修道会が1348年にゴシック様式に。15.16世紀に改修。
階段
教会と同じ頃に作られた階段は、左側から上がると124段で、右端から上がると122段になっていて、少し傾いている面白いつくりになっている。
市民が1348年のペスト大流行が静まった記念に捧げられたと言われているが、1350年の聖年のために作られたという説が有力だ。
左がアラーチェリ教会へ続く1300年代の階段。右がミケランジェロ設計の1500年代の階段。
奇跡の恩恵を受けるには、この階段をひざまずいて登らなければならないと言われていた時期もあった。
17世紀には、他国から来た巡礼者が階段で寝泊まりしていた。丘の上に住むカッファレッリ王子は、自分たちが通る時に道を空けてもらうために、石を投げていた。
現在のヴィットリアーノがある場所には、修道院があり、ホテルなど無い時代に、宿泊施設として使われていた修道院があった。そこに伊達政宗の家臣、支倉常長も1615年に宿泊していた。
アラーチェリ教会がある、上段からの景色。左側にゲットー地区、右の遠くに、これもまたミケランジェロ設計のヴァチカンのクーポラが見える。
外観
ゴシック様式の外観。13世紀のレンガ造りのファサード。壁画やモザイク装飾があったが失った。ローマで初めての時計が1412年、この教会に設置されたが、1806年にセミナリオ宮に移設された。
中央入り口上には十字架と、ウルバヌス8世の時代のバルベリーニ家の蜂のデザインのステンドグラスがある。
16世紀の両横の入り口上の浮き彫り彫刻は、左はヨハネ、右は聖マルコが彫られている。
教会内部
★ 奇跡の聖幼子像
聖具室隣の、聖幼子の礼拝堂にある子供の像。キリストが捕えられる前に祈りを捧げた場所のオリーブの枝で造られた『幼子の像』は奇跡を起こすと言われている。病の治癒や、死者が蘇ったという言い伝えがある。残念ながら盗難にあい、現在あるのはコピー。
3廊式。格天井。
★ コズマーティ様式の床
13.14世紀のコズマーティ様式と言われる、大理石で装飾された床。
★ 22本の柱
様式が様々なのは、周辺のあらゆる遺跡から運ばれてきたため。左の三番目の柱は、アウグストゥス帝の寝室があった場所から運ばれたとか。
ブファリーニの礼拝堂(Cappella Bufalini)
★ ピントゥリッキオのフレスコ画
ファサード裏には、1486年頃のピントゥリッキオのフレスコ画『サン・ベルナルドの生涯』の連作がある。
次回見に行く。メモ。
- ドナテッロ作『クリヴェッリの墓』右翼廊
- バロック様式の主祭壇の聖母画 10世紀
- 聖エレナの礼拝堂と棺 棺の下のコズマーティ様式の祭壇『アウグストゥス帝と聖母』左翼廊
- ピエトロ・カヴァッリ―ニのフレスコ画 『マッテオ・ダクアスパルダ枢機卿の墓』左翼廊
- ミケランジェロがデザインしたCecchino Bracciの墓
カンピドリオ広場からの出入口
教会の右の廊奥の扉。
カヴァッリ―ニの聖母子のモザイク画
チェリモンターナ公園のオベリスク
カンポマルツィオ(パンテオン近く)のイシデ神殿でみつかったオベリスクは、 エジプトのラムセス2世の時代のもので、中世の時代にはカンピドリオの丘の上、アラーチェリ教会前に設置されていた。
ウィキペディアより
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