サンタ・マリア・イン・アラーチェリ教会 Basilica di Santa Maria in Ara coeli

サンタ・マリア・イン・アラーコエリ教会とも言われる。

オリジナルはSanta Maria in Capitolioと言われていたが、1323年に現在の名に。


ゴシック様式の外観

1348年に完成。教会と同じ頃に作られた階段は、左側から上がると124段で、右端から上がると122段になっていて、少し傾いている面白いつくりになっている。

市民が1348年のペスト大流行が静まった記念に捧げられたと言われているが、1350年の聖年のために作られたという説が有力だ。


中世ローマの政治家 コーラ・ディ・リエンツォ 

リヒャルト・ワグナーのオペラ「リエンツィ」(1842年)でも知られる、ローマのトラステヴェレ出身のコーラ・ディ・リエンツォ(Cola di Rienzo 1313年 - 1354年10月4日)が、大衆の前で専制君主な演説をしていた場所。ミケランジェロ設計のスカリナータ(右のカンピドリオ広場へ続く階段)中央に、コーラ・ディ・リエンツォの像がたっている。

左がアラーチェリ教会へ続く1300年代の階段。右がミケランジェロ設計の1500年代の階段。

奇跡の恩恵を受けるには、この階段をひざまずいて登らなければならないと言われていた時期もあった。

17世紀には、他国から来た巡礼者が階段で寝泊まりしていた。丘の上に住むカッファレッリ王子は、自分たちが通る時に道を空けてもらうために、石を投げていたそう。


現在のヴィットリアーノがある場所には、修道院があり、ホテルなど無い時代に、宿泊施設として使われていた修道院があった。そこに伊達政宗の家臣、支倉常長も1615年に宿泊していました。


アラーチェリ教会がある、上段からの景色。左側にゲットー地区、右の遠くに、これもまたミケランジェロ設計のヴァチカンのクーポラが見える。

アウグストゥス帝がここで『幼子を抱く聖母』の夢を見たことと、『天の祭壇(アラーチェリ)』がここに建つという巫女からのお告げを聞いた、という伝説から建てられた教会。6世紀には既に存在していた教会を、フランシスコ修道会が1300年代にゴシック様式に再建。15.16世紀に改修。


奇跡の聖幼子像

聖具室隣の、聖幼子の礼拝堂にある子供の像。キリストが捕えられる前に祈りを捧げた場所のオリーブの枝で造られた『幼子の像』は奇跡を起こすと言われている。病の治癒や、死者が蘇ったという言い伝えがある。残念ながら盗難にあい、現在あるのはコピー。

3廊式。格天井。

コズマーティ様式の床

13.14世紀のコズマーティ様式と言われる、大理石で装飾された床。


22本の柱

様式が様々なのは、周辺のあらゆる遺跡から運ばれてきたため。左の三番目の柱は、アウグストゥス帝の寝室があった場所から運ばれたとか。


ピントゥリッキオのフレスコ画

『サン・ベルナルドの生涯』Vita di San Bernardoの連作 1486年頃

ブファリーニの礼拝堂(Cappella Bufalini)


次回見に行く。メモ。

  • ドナテッロ作『クリヴェッリの墓』右翼廊
  • バロック様式の主祭壇の聖母画 10世紀
  • 聖エレナの礼拝堂と棺 棺の下のコズマーティ様式の祭壇『アウグストゥス帝と聖母』左翼廊
  • ピエトロ・カヴァッリ―ニのフレスコ画 『マッテオ・ダクアスパルダ枢機卿の墓』左翼廊






カンピドリオ広場からの出入口

教会の右の廊奥の扉。

カヴァッリ―ニの聖母子のモザイク画


チェリモンターナ公園のオベリスク

カンポマルツィオ(パンテオン近く)のイシデ神殿でみつかったオベリスクは、 エジプトのラムセス2世の時代のもので、中世の時代にはカンピドリオの丘の上、アラーチェリ教会前に設置されていた。


ブログ



参考

EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

イタリア在住15年。現在住んでいるローマを中心に旅した記録をまとめるサイトです。 ブログは、ほぼ毎日アメーバブログで書いています。 http://ameblo.jp/edicola コラムニスタとしてイタリア関連の記事も書いています。 お気に入り旅写真をアップし、地域別におすすめイタリアの小さな可愛い街の旅行記をまとめていきます。

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