サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会 Chiesa di Santa Maria della Vittoria

初期バロック建築の建築家カルロ・マデルノが唯一設計から完成まで指揮した建築物。

1605年、跣足カルメル会が聖パウロに捧げた礼拝堂として始まった。1620年、白山の戦いがカトリック側の勝利に終わると、ボヘミアでの宗教改革が巻き戻され、この教会は改めて聖母マリアに再奉納された。1683年の第二次ウィーン包囲で入手したオスマン帝国の国旗が掛けられていることが「ヴィットーリア」すなわち「勝利」と名付けられた理由の1つとなっている。
教皇パウルス5世の甥スキピオーネ・ボルゲーゼがこの彫像を私物化したが、そのお返しにファサードの建設資金を提供し、お抱え建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・ソリアに建設を命じた。資金が提供されたのは1624年で、その2年後に教会が完成した。

ウィキペディアより


外観

★ ファサード

ファサードはソリア作(1624年-1626年)近くのマデルノの設計したサンタ・スザンナ教会の影響を受けている。典型的なバロック様式。


内観

内部は1833年に火事になり修復。

★ コルナロ礼拝堂

コルナロ礼拝堂の祭壇の左側

★ 彫刻家ベルニーニの傑作『聖テレジアの法悦』

1652年ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの傑作『聖テレーザの法悦(Transverberazione di santa Teresa d'Avila)』がある。


La famiglia Corner assiste all'estasi di santa Teresa 

altorilievo nella cappella Corner, opera di G.L. Bernini e aiuti



エスタシー Estasi di santa Teresa


エスタシーとも言われる。スキピオーネが偏愛した。

この像はアビラのテレサの自叙伝の一場面を描いたもので、天使が彼女の心臓を金の槍で突き刺すという鮮明なビジョンを表しており、その体験は彼女に大きな喜びと苦痛を与えた。緩やかなローブと屈曲した姿勢は古典的な抑制や安らぎを捨て、より情熱的でほとんど官能的といえるような恍惚を描き出している。

ウィキペディアより


主祭壇

★ 聖体 

主祭壇隣には蝋をかけられた骨。


★ 天井画

1675年、ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリーニ(Giovanni Domenico Cerrini)作、フレスコ画『Trionfo della Vergine e cacciata dei protestanti all'inferno』

★ クーポラ Assunzione della Vergine

ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリーニ(Giovanni Domenico Cerrini)作


L'esercito cattolico entra in Praga dopo la vittoria alla Montagna Bianca 

 主祭壇上のフレスコ画 1885年ルイージ・セッラ(Luigi Serra)作


左の翼廊

ドメニコ・グイディの『聖ヨセフの夢』

「聖テレーザの法悦」の反対側にある『聖ヨセフの夢』はドメニコ・グイディの作品。

★ ドメニキーノ、グエルチーノ、グイード・レーニ

1630年ドメニキーノ、グエルチーノ、グイード・レーニ作の3つの作品がある。


★ 枢機卿ベルリンギエーロ・ジェッシの墓

枢機卿ベルリンギエーロ・ジェッシ(Berlinghiero Gessi)の墓標

★聖歌台とオルガン

1680年、マッティーア・デ・ロッシ作。聖歌台とオルガン。

聖歌台の細部。帝国時代の鎧。


★ ネクロポリス

この教会があった場所には、鉄器時代より以前の紀元前9-8世紀頃のネクロポリスがあった。現在のサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会から出土した壺とブロンズ製のベルト。


関連

ダン・ブラウンの小説『天使と悪魔』にこの教会が登場した。


ブログ

2020.08


参考

EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

イタリア在住15年。現在住んでいるローマを中心に旅した記録をまとめるサイトです。 ブログは、ほぼ毎日アメーバブログで書いています。 http://ameblo.jp/edicola コラムニスタとしてイタリア関連の記事も書いています。 お気に入り旅写真をアップし、地域別におすすめイタリアの小さな可愛い街の旅行記をまとめていきます。

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