エトルリア文明について Etruschi

いつ頃の文明? 

紀元前800年頃から、ローマ人がVEIOというエトルリアの首都のような重要な街を征服した396年頃まで。ローマ文明と同化していき滅亡した。 


どこから来たの? 

現在トルコがある、アナトリア半島、小アジアから、ギリシャ神話の人物、テーレポスの息子、ティッレーノ(Re Tirreno)が引き連れて来たという伝説がある。ギリシャ人は、エトルリアの国々は、 ティレニア海の語源となってる、Tirrenoを意味する言葉で呼んでいた。


近隣諸国との関係

エトルリアの町ごとに独立していたが、周辺の町とは同盟を組み、仲良くしていた。

トスカーナの島辺りで貴重な鉄が採れるため、ギリシャ文明の国など海からの貿易で栄えた。


宗教について

次回書くメモ

町ごとにLUCUMONEと呼ばれる王が存在した。



主なエトルリアの街

ヴィッラノーヴァ人 Civiltà Villavoviana

ヴィッラノーヴァ人と呼ばれるのは、1850年に考古学愛好家であるジョヴァンニ・ゴッツァディーニ伯爵が、非常に変わった特徴を持つ共同墓地を発見したボローニャ郊外の小さな町ヴィッラノーヴァ(現在のカステナーゾの一地区)に由来する。


最も古いエトルリアのヴィッラノーヴァ人は、3つの大きな定住地に集中していた。

● チヴィタヴェッキアとブラッチャーノ湖の間のトルファ山地を含む地域

● ヴルチの考古学ゾーンとボルセーナ湖の東、ラモネの森の間のフィオーラ川渓谷中腹

● ラディコーファニ、キウージ、チッタ・デッラ・ピエーヴェの間のチェトーナ周辺丘陵地帯


世界文化遺産

「チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群」


エトルリア墓地遺跡

チェルヴェーテリ、タルクイニア

丸型



出土品

器 Patera 


エウフロニオスの壺 "Cratere di Eufronio"

チェルヴェーテリからの出土

現在はチェルヴェーテリの中心街にあるルスポリ宮(Palazzo Ruspoli)のエトルリアの考古学博物館にて保存。

パリのルーブル美術館にある出土品


エトルリア語で書かれた本 Liber linteus



参考 ウィキペディア

EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

イタリア在住15年。現在住んでいるローマを中心に旅した記録をまとめるサイトです。 ブログは、ほぼ毎日アメーバブログで書いています。 http://ameblo.jp/edicola コラムニスタとしてイタリア関連の記事も書いています。 お気に入り旅写真をアップし、地域別におすすめイタリアの小さな可愛い街の旅行記をまとめていきます。

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