サンタ・マリア・デル・オルト教会 Chiesa di Santa Maria dell'Orto と、中浦ジュリアン
16世紀 ルネッサンス・バロック様式
ファサード
三角のオベリスクが珍しく1576-78年に作られた。ジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ(Jacopo Barozzi da Vignola)か、Martino Longhi il vecchioの作品だと言われている。通称 ヴィニョーラは、イタリア・ルネサンス様式を西ヨーロッパに広めた3人の建築家の1人とされている。
★ 6時間時計
ファサードの真ん中にある、6時間しか無い珍しい時計。
内観
教会内はバロック様式
★ 中浦ジュリアン Giuliano NAKAURA
天正遣欧少年使節で有名な、中浦ジュリアンの肖像画がある。(1568年頃 - 1633年10月21日)
彼の生涯は波乱万丈の人生、キリスト教徒として、ローマに赴いたことを誇りに亡くなった方。1600年前後は日本では戦国時代終期。人々の生活を良くしようとしていた人の一人。
2007年、ローマ教皇ベネディクト16世により、中浦ジュリアンを福者に列することを発表された。福者というのは、聖人に次ぐ地位にあたる。
1579年に巡察師として日本を訪れたアレッサンドロ・ヴァリニャーノ、キリシタン大名・大村純忠の提案で財政難に陥っていた日本の布教事業の立て直しと、邦人司祭育成のため、1582年、使節をローマに派遣した。
セミナリヨで学んでいたジュリアンを含む4人の少年たちが選ばれ、ジュリアンは副使となり、ローマでローマ教皇・グレゴリウス13世と謁見。ヨーロッパを巡礼した後1590年帰国。
その後、九州で布教活動をしていたが、キリシタン弾圧のため、二十数年にわたって地下活動を続けることになり、とうとう1632年に見つかり、神父のルカス・デ・スピリト・サントと3人の修道士と共に穴吊りの刑に処せられました。
4日間穴吊りにされ酷く苦しんで亡くなられた。享年65歳。
「わたしはローマに赴いた中浦ジュリアン神父である」と最期に言い残したといわれている。
装飾がゴージャスで四角い大理石デザインがゴッツイ感がありますが、この金、茶、白の色味がシンプルで、たくさんの天使たちが甘い雰囲気を醸し出している。
とっても可愛らしい木製プレセピオ。
次回、訪れた時にチェック、メモ。↓
ローマ時代初期よりこの教会周辺にはぶどう畑があったのと、農民の作物売買などが行われていたこと等から、教会内部の床の大理石や祭壇周辺の天使との彫刻等、随所に果物・野菜をモチーフとした装飾が見られる。
アヴェ・マリアのアルファベット「A・M」を重ねたステントグラスは、ピーマン(緑)とトマト(赤)の色を表している。
★ ズッカリ兄弟のフレスコ画
教会内のアプスのフレスコ画 le Storie della Vergine (1556年頃)
参考
Wikipedia
0コメント