メディチ家の別荘 ヴィッラ・メディチェーア・ディ・カステッロ Villa medicea di Castello
トスカーナ州 フィレンツェ郊外のカステッロ地区にあるメディチ家の別荘。
★ ローマ時代
ヴィッラの名前は、かつてここに存在した、ローマ時代の水道の源、貯水槽Cisterne (castellum) があったことから。217年に、ローマの皇帝マクリヌス( Marco Opellio Macrino (164-218))が建造。
★ 15世紀
14世紀に既に存在した邸宅を、15世紀に後期にジョヴァンニ・デ・メディチ・イル・ポポラーノがデッラ・ストゥーファ家から買い取り豪邸にした。
ヴィッラは
1529年から1530年に反対派(Otto di Guardia e Balia)の損壊命令。フィレンツェは荒廃した時期で l'assedio di Firenze (1529-1530)である。
★ コジモ1世
コジモがフィレンツェ公になった時、1538年に再建。その時の建築家は、ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari)の建物と、ミケランジェロの弟子ニッコロ・トリボロ(Niccolò Tribolo)の庭園であった。
★ 初期のイタリア式庭園
ヴァザーリが政治的な戦略も兼ね“ヨーロッパでもゴージャスな庭にする”という提案だった。
迷路のように、左右対称に綺麗に垣根が揃えられている。この様式を後にイタリア式庭園(Il giardino all'italiana)と呼ばれるようになる。ここはイタリア式庭園でも最も古いうちのひとつで、有名なボボリ庭園を参考に造られた。
多種な柑橘類の植木を配置し、右側扉からは、ひな壇の様にになってる。
庭園の設計者トリボロの亡き後、設計はダヴィデ・フォリティーニに変わり、そして、ヴァザーリが担当。しかし、フィレンツェ公はその頃フィレンツェ旧市街のヴェッキオ宮殿やピッティ宮殿の建設を始めたため中断された。コジモの息子フェルディナンドの時代、1588年から1595年の間にやっと完成された。
★ バルトロメーオ・アンマンナーティ(Bartolomeo Ammannati) 『1月、アペニン山脈の神様』Il Gennaio o Appennino
アペニン山脈の擬人像。
★ ジャンボローニャ
ジョルジョ・ヴァザーリが、 ジャンボローニャに制作依頼を提案し実現した『動物の洞窟(La Grotta degli animali)』
典型的なマニエリスムと言い、この時代はこの言葉もないくらい、初期の様式である。岩窟(グロッタ)に、祭壇壁龕が3つある。動物のフィギュアの彫刻が様々な石の素材で掘られている。
真ん中
左
左の水受けは魚のデザイン。
右側の壁龕
天井はモザイクや貝などが使われたグロテスク模様である。
ここには、現在バルジェッロ美術館に展示されているジャンボローニャの『鳥』も装飾されていた。
あとひとつジャン・ボローニャの作品では『海から上がるヴィーナス』もあったが、近所のメディチ家のもうひとつのペトライアの別荘に運ばれた。
★ サンドロ・ボッティチェッリ Sandro Botticelli
15世紀頃、邸宅のデコレーションのため、サンドロ・ボッティチェッリが『プリマヴェーラ』と『ヴィーナスの誕生』を制作。現在はウッフィツィ美術館に展示。
春 プリマヴェーラ La Primavera
ヴィーナスの誕生 La nascita di Venere
★ ルーカ・シニョレッリ
1490年頃『裸身の人々の中の聖母子(Madonna col Bambino tra ignudi)』も描かれた。現在はウッフィツィ美術館に展示。
★ グラディエーターの像
古代の作品の模作の模作であり、原作は、近所のメディチ家の他の別荘、ヴィッラ・ペトラルカにある。
★ ユネスコ世界文化遺産
ユネスコ世界文化遺産に指定されたメディチ家の別荘群。
Wikipedia参考
ヴィッラ・メディチェーア・ディ・カステッロ Villa medicea di Castello
現在はクルスカ学会が使用してるので特別な公開日に予約をしなければ見学できない。庭園は国立博物館(Soprintendenza per il Polo Museale di Firenze)の敷地で一般公開している。
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参考
Wikipedia
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