サンタ・プデンツィアーナ聖堂 Basilica di Santa Pudenziana
ローマ・モンティ地区のウルバーナ通り(旧Vicus Patricius)に面して建つ教会。
歴史
通常なら実在する人間を聖人にするのだが、この教会に奉られている聖女プデンツィアーナは架空の人物だと言うことが、研究者により1969年に発表されている。
プデンテとプラッセーデとプデンツィアーナの三人を列聖させたのは、142年~145年頃のピウス1世である。
伝説
紀元42年、ネロ皇帝のキリスト教迫害時代に、聖ピエトロをかくまった元老院議員プデンテの邸宅跡の上に建てられた教会。キリスト教信者をかくまった邸宅は、現在の聖堂の地下9mの場所であった。
プラッセーデはプデンツィアーナやかくまっていた信者が殉死した時、遺体をサラリア街道沿いにあるプリシッラのカタコンベ(集合埋葬所)へ運んだ。
聖女プラッセーデと聖女プデンツィアーナは現在サンタ・プラッセーデ聖堂が建てられた場所にあった井戸に葬られた。
遺跡
384年にプデンテの二人の息子により作られた浴場と4世紀に祈祷場Auraが建てられ、その上に現在の聖堂がある。
外観
4世紀に建設のローマで最も古い教会のうちのひとつ。ロマネスク様式の12世紀の5階建ての鐘楼。
枢機卿ルチャーノ・ボナパルテが修復した1870年代のファサードだが、入り口上には11世紀のフリーズがある。神の子羊、ピエトロ、プデンテ、プデンツィアーナ、プラッセーデらの聖人と、プデンテと教皇(司教?パストーレ?次回確認)の頭部がデザインされている。
ウルバーナ通りより4mほど下に聖堂が建つ。教会へのアクセス階段。
4世紀のオリジナルを残しつつ、中世とルネッサンス期に修復された。
内観
三廊式。
★ アプス(内部後陣)
初期キリスト教時代の4世紀のモザイク『キリストと使徒』。使徒は16世紀に修復のため下部が剥がされたが、聖人達の足がないままになっている。?
ポマランチョ作(Pomarancio)のクーポラのフレスコ画
左廊
★ カエターニ礼拝堂
1500年代にフランチェスコ・ダ・ヴォルテッラ設計で166年代にカルロ・マデルノが完成させた。
16世紀のスタッコ(漆喰装飾)『東方三博士の礼拝』と大理石の装飾(Pietro Paolo Olivieri、C. Mariani作)や、フェデリコ・ズッカリデザインのモザイクがある。
★ ナポレオンの甥、ルチャーノ・ボナパルテの墓
右廊
ウクライナで生まれ、1888年ローマで亡くなった枢機卿Włodzimierz Czacki
(次回訪問の際は、教会裏の修道院や中庭もみる)
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ブログ
2020.08.19
参考
Wikipedia
PieroEffeNews ↓ 今度このブログを読む
pieroeffenews.blogspot.com/2015/08/basilica-di-santa-pudenziana-roma_83.html?q=pudenziana
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