サッルスティウス庭園 Holti Sallustiani
Gli Horti は、ローマ帝国時代に町から離れて静かな場所でのんびりと過ごすため、しかし中心街からそれほど離れていない所に別荘が建てられた。
在ローマ日本大使館から徒歩1分ほどにあるこの遺跡は、サッルスティウス庭園(Holti Sallustiani)といい、遺跡名となっている、紀元前1世紀のローマの政治、歴史家の ガイウス・サッルスティウス・クリスプス(Gaius Sallustius Crispus)が造り、後にローマ皇帝の別荘となっていった。
イタリア式庭園やフランス式庭園の原型となる庭園が存在した。庭園内には、散歩中に日差しや雨から避けるための木々や噴水、温泉施設、神殿などがあり、彫刻像が配置され、ギリシャから運ばれたものまであった。
後にアウグストゥス帝によるローマの14行政区のRegio VI: Alta Semita (アルタ・セミタ)となり、
410年のローマ略奪で大損害を受けた。
現在はこの周辺は各国の大使館が入っている貴族の館などが建ち並び、現在はサッルスティアーノ地区と言われる。
ピンチョの丘の上に豪邸が建てられるよりも前に、 ここのサッルスティアーニ庭園が存在していたことが分かっている。 古い遺跡が近年になって少し発掘されたが、それはほんの一部でしかなく、現在の地上より14m下にはまだまだ沢山の遺跡が隠されています。
出土品
『瀕死のガリア人』Statua del “Galata Capitolino”
ペルガモン王のアッタロ1世がガリア人を倒した記念に制作された、ギリシャ彫刻をモデルにした紀元前3世紀の大理石作品。戦いに敗れたガリア人が死にゆく様をリアルに表現している。現在はカピトリーノ美術館に収蔵。
スペイン階段上のオベリスク Obelisco Sallustiano
1789年に、スペイン階段上のトリニタ・デイ・モンティ教会(Trinità dei Monti)前の広場に設置。ローマ帝国時代に、ポポロ広場にあるエジプトから運んできたオベリスクを参考に、ローマで作られたと思われる。サッルスティウス庭園内のローマ皇帝のプライベート乗馬場だった場所から出土。
サッルスティウス庭園のニオベー Niobide degli Horti Sallustiani
1906年にサッルスティウス庭園の11m地下から発見。 紀元5世紀頃に蛮族から守るために隠されていたと思われる紀元前5世紀頃の大理石像。ニオベーは、神話の中で石にされた。現在はマッシモ宮所蔵。
ルドヴィシの王座 Trono Ludovisi(Afrodite)
海からアフロディーテが生まれるシーンを掘った紀元前5世紀の作品。愛と美と性を司る女神アフロディーテは二人の時間の女神ホーラ(複数形 ホーライ Horai)に抱えられて海から揚られている。
紀元前450-460年頃のものだと言われている。via Sicilia と via Sardegnaの間( l'Istituto Archeologico Germanicoの後ろから出土)現在はアルテンプス宮(Museo nazionale romano di palazzo Altemps)所蔵。
ルドヴィシの頭部 Acrolito Ludovisi
アルテンプス宮(Museo nazionale romano di palazzo Altemps)所蔵。
ローマ北東部にある、サッルスティウス庭園内のヴェーネレ・エリチーナ神殿(Tempio di Venere Erycina)から『ルドヴィシの王座』とともに出土されたと言われている、『ルドヴィシの頭部』と呼ばれている女性の頭部像。ヴェーネレ・エリチーナ神殿から見つかった可能性が高いので、ヴィーナス(ウェヌス)だとも言われている。
その他の出土品など
- 現在アラーチェリ教会の小さな庭にあるオベリスクの土台
- フリウリ通りにあるアメリカ大使館のガレージにクリプトポルティコに描かれたフレスコ画が残る
- Collegio Germanicoにある、アドリアヌス帝の2階建てのチステルナ Via di S. Nicola da Tolentino
Horti Sallustiani
住所 Piazza Sallustio, 21, 00187 Roma
現在は Unioncamere という財団法人が入っている。
参考
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