サン・ジョヴァンニ・イン・オレオ小礼拝堂 Chiesa di San Giovanni in Oleo
ラティーナ門城壁内すぐの通りに、ルネッサンス様式の聖ヨハネ(Giovanni apostolo ed evangelista)に捧げられたサン・ジョヴァンニ・イン・オレオ小神殿(Chiesa di San Giovanni in Oleo)がある。
伝説
★聖ヨハネがオイルの入った鍋に入れられ迫害された場所
聖人伝によると、聖ヨハネがアジアでの宣教後、ローマに来てすぐの92年、ドミティアヌス帝の命により、聖ヨハネは熱々のオイルの中に入れられた。しかし全く火傷にならないので魔人だと恐れられ、ギリシャのパトモス島へ流刑になった。
外観
★ブラマンテか、アントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ設計
キリスト教初期の頃の5世紀には、ここには既にビザンチン様式の円形の神殿があった。
1509年頃に神殿跡を建て直したのが、教皇ユリウス2世の頃のフランスの高位聖職者ブノア・アダム(Benoît Adam)。旧市街側の入り口上には、 "神の喜びへを意味するAU PLAISIR DE DIEU" と書かれている。
主な設計を担当したのが、ブラマンテかアントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネだと言われている。
角にドーリア式の付注がある八角形で シンプルなエンタブラチュアがある。
★ ボッロミーニ設計の修復
1657年頃、近くの教会の所有者枢機卿フランチェスコ・パオルッチ(Francesco Paolucci)の命で、 自身のパオルッチ家の礼拝堂にするために、フランチェスコ・ボッロミーニが修復。
ボッロミーニはアテネにある“ 風の塔”を参考にしたとされている。
下のレンガ色に似せて作られた漆喰装飾、薔薇とヤシの葉、さらに上には8枚のヤシの葉の上に、薔薇デザインの球と十字架。
上の部分はコピーで、オリジナルは近くのサン・ジョヴァンニ・ア・ポルタ・ラティーナ教会の柱廊にある。
★ キージ家の紋章
もうひとつのラティーナ門側の入り口上には、修復をした教皇アレッサンドロ7世のキージ家の紋章がある。
教会内部
1700年代の修復も、ボッロミーニの設計が使われたとされている。教会内部の漆喰装飾もおそらくボッロミーニの作品。1661年、フレスコ画はピエトロ・ダ・コルトーナの弟子、ロレンツォ・バルディ(Lorenzo Baldi)が
『聖ヨハネの生涯』
を描いたもの。
ブログ
2020.08.29
参考
Wikipedia
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