カンピテッリ広場 Piazza di Campitelli

古代ローマ

ここのカンピテッリ広場は(Campus Teli)現在のイタリア語で(campo della freccia)つまり”弓矢の場”という意味から来ており、 ローマ帝国時代の”Colonna bellica”というこの街で一番高い柱があり、戦争開始宣言をするため弓矢を敵に向かって打つ場所であった。


中世からバロック

1871年までこの広場は、”カンピテッリのサンタ・マリア”または、ローマの貴族カピズッキ家の宮殿が建っていたため、”カピズッキ広場”ともと呼ばれていた。

現在のサンタ・マリア・イン・ポルティコ・イン・カンピテッリ教会は、1217年に列聖された古いサンタ・マリア・イン・カンピテッリ教会があった場所に、建築家カルロ・ライナルディが再建した。

新しい教会はセナートでローマ市民であったアレッサンドロ7世の命で1656年のペストから解放された記念で建設。そのため、現在戸籍庁が建っている場所にあったサンタ・マリア・インポルティコ教会の12世紀のソーマタジー(奇跡を呼ぶ)な古代の絵画が必要だった。


見どころ

★ サンタ・マリア・イン・ポルティコ・イン・カンピテッリ教会

1662年1月14日に聖母子画はここに引っ越してきた。伝説では、524年7月17日ペストに侵された病人が強い光に照らされたという場所、サンタ・ガッラ(Santa Galla)のオッタヴィアの柱廊(Portico d’Ottavia)から見つかったと言われる。

教皇ヨハネス1世もこの力を借りた。二人のセラフィムが現れ、聖母マリアのイコンが教皇の手に置かれた、するとたちまち町のペスト菌は消え去ったというの伝説だ。

1703年2月1日の地震では、ローマ人はこの聖母子画の前で祈り続け、聖母のお陰で奇跡的にローマの街は無事であった。それからというもの、毎年2月1日は、ローマの人々は厳粛な祝福を受けるために断食し、毎年そこに集まることを、ローマ上院が厳粛な投票で決められた。

その奇跡の聖母子画は、主祭壇に飾られているエナメルの背景を持つ金色の銅箔の珍しい作品でオディジトリア(導く)という意味の典型的なビザンチン様式のイコンである。

新しい教会は1728年に列聖され、奇跡の聖母画があるという意味で、サンタ・マリア・イン・ポルティコ・イン・カンピテッリ教会に改名された。

バロック様式の円柱があるファサード。教会内には24本のコリント式の円柱で仕切られており、クーポラとアプスがある。

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★ スターティ宮 Palazzo Stati

教会の隣の建物


★ カンピテッリ広場の噴水

1589年、ジャコモ・デッラ・ポルタ設計で、ポンピリオ・デ・ベネデッティ作の噴水。フェリーチェ水道が通る。噴水は教会の橋に設置されたが、本来の計画ではもうひとつ反対側にも置かれるはずであった。

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★ カピズッキ宮 Palazzo Capizucchi 

1580年、カピズッキ家のためジャコモ・デッラ・ポルタ設計。3番地。

カピズッキ家が所有していたいくつかの家を取り壊し建設した。カピズッキ家はローマでは1400年代中ごろ、枢機卿・司教・政治家としてカンピドリオの丘にいた家系で、1813年までこの家に住んでいた。

ローマ県ヴァッレピエトラの男爵トロイッリ家に売り、マッシモ家、最後にガスパッリ家の所有に。

建物は1600年代にカルロ・ライナルディにより修復され、百合の入った入り口と、青のベースに金の帯デザインのカピズッキ家の紋章が入れられた。2階の窓はアーキトレーブがあり、最上階は1700年代に増築された。


★ アルベルトーニ・スピノラ宮 Palazzo Albertoni Spinola

2番地の真ん中の建物、アルベルトーニ・スピノラ宮(Palazzo Albertoni Spinola)は、ジャコモ・デッラ・ポルタの設計で建設開始されたが、1600年代初期にアルベルトーニ家のためジローラモ・ライナルディが完成させた。この地区はローマの貴族が所有していた建物をいくつか壊した。

1669年アルティエーリ家が購入したが、Paluzzo Altieri王子は建物をパーチェの王子Emanuele Godoyに売ることとなった。

ここにはBartolomeo PaccaとGiacomo Piccolominiが1800年代に住み、現在は一部だけだが、スピノラ侯爵の所有である。

3階建てで厳格な雰囲気のファッチャータは1800年代、窓枠にはアルベルトーニのライオンと鹿の紋章がある。


★ カヴァッレッティ宮 Palazzo Cavalletti

裕福な銅板職人であったデ・ロッシ家のために1500年代に建てられ、1600年代にデ・ロッシ家を継ぐ者がおらずカヴァッレッティ家系に。

入り口と2階の窓はアーキトレーブは豪華な装飾で、3階は1800年代に増築した。


★ フラミニオ・ポンツィオ邸 Casa di Flaminio Ponzio

6番地のモンタナ―ラ通りの角の建物は、主にパウロ5世のために働いた建築家フラミニオ・ポンツィオの家である。サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のパオリーナ礼拝堂設計や、サンテリージョ・デリ・オレフィチ教会、ボルゲーゼ宮、サン・セバスティアーノ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂などを設計した。

しかしこの建物は”嘘の建築”と言われ、インペーロ通りを作る1924年から1932年の工事で、アレッサンドリーナ通りにあった1600年代の建物を改築した素材や装飾品を再利用したのが分かったからである。


★ ヴェッキア・ローマの入ってる建物



★ リストランテ・ヴェッキア・ローマ Ristorante Vecchia Roma



EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

イタリア在住15年。現在住んでいるローマを中心に旅した記録をまとめるサイトです。 ブログは、ほぼ毎日アメーバブログで書いています。 http://ameblo.jp/edicola コラムニスタとしてイタリア関連の記事も書いています。 お気に入り旅写真をアップし、地域別におすすめイタリアの小さな可愛い街の旅行記をまとめていきます。

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