ローマに影響を与えた貴族・商人の家系 中世のローマ

★ テヴェレ川周辺の貴族の邸宅 Famiglia Noboli

ローマ帝国滅亡後、 水道の流れが変わったが、川が近い場所に町が残り栄えた。水は人々の生活にとっても重要であり、 防御的な安全を提供した。

教会は神殿跡の上に建てられ、豪邸はローマ時代の遺跡の上に建造された。ローマ帝国時代の跡地を使うと、重い石が近くにあったため再利用できたためである。

中世の貴族や商人の家の特徴は、城壁や塔の他、彼ら専用チャペルと、馬小屋、 井戸、貯水槽、パン窯、物置もあった。生きていくには水が重要だったため川近くの橋の通行税や、下水道、水車小屋の経営をする家系は、裕福になっていった。


★ 貴族の塔

中世の全盛期の頃は、ローマにだけで900本も塔があり、そのうちの300本ほどが城壁内に存在した。12世紀の巡礼者用の冊子には、”麦の穂の様に塔が建ってる”と表現もあった。ローマで地震があった時に多くが崩れ、貴族への税収を増やした1257年にかなりの塔が倒された。

現存するのは30~40本ほどである。


★ ゲルフ Guelfi ⇔ ギベリン Ghibellini

15世紀のイタリア戦争時には、フランス王を支持したのがゲルフ、スペイン王を支持したのがギベリンと呼ばれた。


コロンナ家 敵対 ⇔ オルシーニ家・カエターニ家
フランジパーネ家 敵対 ⇔ ピエルレオーニ家


1257年、ボローニャのギベリン党ブランカレオーネ家Brancaleone degli Andalò) が、ローマの男爵領に対し、 "martello ed estirpatore dei superbi"厳しい政策を打ち出し、教皇も逃げ出した。


12世紀から1527年のローマ劫掠までのローマでの有力貴族


ローマに影響を与えた有力貴族


その他メモ



古代ローマの共和政ローマは王を追放して共和主義を掲げた共和国だが、貴族や元老院も存在した(混合政体)。 中世ヨーロッパにおいて、貴族は軍の先頭に立つことになっていたため、貴族は古代ギリシアでのエリート市民同様に、自分たちの軍隊での役割ゆえに自らを「最上」で「高貴」とみなし、同じくエリート市民同様に奴隷を持てる特権階級となっていた。その高貴さ、最上さは教会が保障していた。


元々は、神聖ローマ帝国の帝位争いにおいてヴェルフ派をヴェルフ、ホーエンシュタウフェン派をヴィーベリン(現在のヴァイブリンゲン)と言ったものが、ヴェルフ家が教皇と結んで、帝位についたホーエンシュタウフェン朝と対抗したため、これがイタリアに伝わり教皇派と皇帝派(ゲルフ(グエルフィ、Guelfi)とギベリン(ギベッリーニ、Ghibellini))となった。

EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

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