カンポ・デ・フィオーリ広場 Campo de' Fiori

★ カンポ・デ・フィオーリ=花の野

15世紀までは花畑や小さな畑だった。近くに劇場などを造ったポンペイウスが愛したフローラという女性から名が付けられたと言う説もある。サンタンジェロ橋からサンタンジェロ・イン・ペスケリーア教会まで続くフロレア通り(Via Florea)が存在した。

教会が建ち並んだため巡礼者のための宿屋が周辺にでき、外国人も集まるゾーンだった。

1456年、Callisto IIIによる周辺の整備、シクストゥス4世によるカンポ・デ・フィオーリとバレストラーティ通りとシスト橋の整備が行われ、トラステヴェレからの往来は必ず、巡礼者も枢機卿ら重要人もこの広場を通ることとなった。

カンポ・デ・フィオーリは文化、商業の中心地となり市場やホテル、レストランなどが増えた。


★ ルクレツィアやチェーザレ・ボルジアの生家

カンポ・デ・フィオーリ広場の角、住所はガッロ通りになるが現在はレストランが入っている"アンティカ・ロカンダ・デッラ・ヴァッカ"の建物は、1520年代は、ボルジア家アレクサンデル6世の愛人でルクレツィア・チェーザレ、ユアン、ジョゼの母である、ヴァンノッツァ・カッタネイ(Vannozza Cattanei)はここに住み、子供たちの生家である。現在でも建物に、ヴァンノッツァのジェンティリツィオ家の紋章が見られる。

角の小さい建物がルクレツィアやチェーザレ・ボルジアの生家 


★ オルシーニ家

13世紀頃、オルシーニ家は、家系ボボーニ家(Bobone)が所有していた建物を壊しつつ、広場の南東側と、ポンペイウス劇場跡地を買い占め要塞や塔を建設した。ローマ郊外のヴィコヴァーロやアブルッツォ州のタリアコッツォなど小さな町も支配した時期である。ビシオーネ広場に住んでいたオルシーニ家の家は15世紀にヴェネチア共和国のCondulmer家に売られたが16世紀に再度オルシーニ家のものに。Pio di Savoiaが大々的に改修した。

1700年代までオルシーニ家はカンポ・デ・フィオーリの権限を持っていた。


宗教的な休日の日曜以外は毎日市場が出た。現在でも地元の人、観光客が買い物に来る場所だ。オリーブオイルなどの食材のお土産探しにオススメ。

★ ジョルダーノ・ブルーノ像

ここは処刑所としても使われ、哲学者ジョルダーノ・ブルーノもここで1600年2月17日に死刑が執行された。異端にかけられ炙り刑であった。1889年エットレ・フェッラーリ作。彼の銅像の除幕式が、自由志向の共和派と教皇派とで激しい対立となった。

★ テッリーナの噴水

古代ローマの少人数用バスタブを噴水に。ジャコモ・デッラ・ポルタ設計。

詳しくは下のページへ。

★ 中世の塔 アルパカータ、もしくはアルパカーザ

アルパカータ、もしくはアルパカーザの塔(Torre Arpacata o Arpacasa)

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★ 映画『カンポ・ディ・フィオーリ』

アンナ・マニャーニとアルド・ファブリツィ主演の1943年の映画がここで撮影された。

★ 夜の街

広場にパブが多いため、若者が集まるゾーンとなったが、近年の危険な騒ぎで夜には警察が常駐するようになった。


★ パン屋 Forno Campo de' Fiori

お持ち帰りしかできないパン屋だが、ローマ名物のピッツァ・ビアンカにハムやチーズを挟んであるパニーノがおすすめだ。

★ アリストカンポ Aristocampo 

★ バッカナーレ Baccanale 




旅行記 ブログ

2016.12



参考

wikipedia


EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

イタリア在住15年。現在住んでいるローマを中心に旅した記録をまとめるサイトです。 ブログは、ほぼ毎日アメーバブログで書いています。 http://ameblo.jp/edicola コラムニスタとしてイタリア関連の記事も書いています。 お気に入り旅写真をアップし、地域別におすすめイタリアの小さな可愛い街の旅行記をまとめていきます。

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