聖堂側の考古学ゾーン 皇帝の邸宅、セッソリウム遺跡など Palatium Sessorium
現在サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂が建つゾーンは、考古学としてもとても興味深い。
セッソリウムと呼ばれる皇帝の邸宅、ヘレナの浴場、ウァリイ競技場など時代ごとに見て行く。
ローマ共和国・ローマ帝国時代
紀元前477年頃
★ 庭園
邸宅の敷地内には、葡萄園などとして使われていた庭園、Horti Spes Veterem (または Horti ad Spem Veterem) があった。
庭園内には、エトルリア人とローマ人の戦いにローマが勝利した記念に作られた、希望の神様の神殿(Dea Speranza)があった。
★ ギリシャ神話ムーサ(ポリュムニアー)像
1928年に近くのテルニ通りで発見された、大理石のギリシャ神話ムーサ(ポリュムニアー)像(Statua di Musa: Polimnia)はここに置かれたとも考えられている。現在はローマ市営博物館、モンテマルティーニ美術館に展示されている。
2世紀頃に作られた、紀元前2世紀頃のムーサ像Poliskos di Rodi作のコピーでである。
2世紀
★ ヴァリアーノ(ウァリイ)競技場
チルコ・ヴァリアーノ(Circo Variano) 競技場が作られた。ローマ中心にあるチルコ・マッシモや郊外のアッピア街道にあるマクセンティウスの競技場よりも大きかった。
ここで使われたエジプトから運ばれたオベリスク(Obelisco di Antinoo)は、ハドリアヌス皇帝が愛したアンティノウスに捧げられ建てられた。オベリスクは16世紀に発掘され、バルベリーニ宮殿に運ばれ、その後、教皇クレメンス14世に捧げられ、ヴァチカン市国の松の中庭に移された。1822年からピンチョの丘の上に置かれている。
272年
★ 皇帝の邸宅 セッソリウム
セッソリウムは、セプティミウス・セウェルス帝(Settimio Severo)が着手した皇帝のヴェラ。272年にアウレリアヌス城壁に沿い、ヘリオガバルス帝(Eliogabalo)が完成させた。
後の4世紀初めに、コスタンティヌス帝の母エレナのサッソリアーノだった場所に、サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂やカストレンセ円形劇場。
★ ヴィーナスと天使の神殿
ヴィーナスと天使の神殿(Tempio di Venere e Cupido)
ここから1509年に見つかったヴィーナスとキューピッド像 (Venere e Cupido)がヴァチカン博物館に展示されている。
ヴィーナスの姿をしたローマ皇帝アレクサンデル・セウェルスの美しい妻サッルスティア・オルビアナ(Gnea Seia Herennia Sallustia Barbia Orbiana)だとされる。
★ ヘレナの家と浴場
222年から275年、ローマ皇帝アレクサンデル・セウェルス(Alessandro Severo)がコンスタンティヌス帝の母の名をつけた、聖ヘレナの浴場(Terme Eleniane)を建設。
16世紀に見つかった碑文に火事の後、修復した旨が書かれている。
おそらく、アレクサンドリナ水道(Acquedotto Alessandrino)の水が使われていた。
Via ElenianaとVia Sommelierの間に、チステルナ(貯水槽)が残る。
★ アウレリアヌス城壁とクラウディア水道
クラウディア水道遺跡も見られる。
中世初期キリスト教時代
325年
★ サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂 Basilica di Santa Croce in Gerusalemme
サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂(Basilica di Santa Croce in Gerusalemme)は、325年、コンスタンティヌス帝が母エレナ(聖ヘレナ)が聖地エルサレムから運んだ聖遺物を祀るために建てた。
詳しくはこのページへ ↓
ルネッサンス期
★ フェリーチェ水道
シクストゥス5世が、クラウディア水道の遺構を再利用しフェリーチェ水道を建設。
情報
遺跡見学は要予約。
公式ホームページ
関連ページ
ブログ
2020.09
参考
Wikipedia
セッソリウム遺跡
ウァリイ競技場
オベリスク
聖ヘレナの家
聖ヘレナの浴場
ロマーノ・インペーロ
モンテマルティーニ博物館
0コメント