サン・ジョヴァンニ・ア・ポルタ・ラティーナ教会 Chiesa di S.Giovanni a Porta Latina
サン・ジョヴァンニ・ア・ポルタ・ラティーナ教会(Chiesa di S.Giovanni a Porta Latina)は、アウレリアヌス城壁にあるラティーナ門を旧市街に少し入った場所に建てられた。ラティーナ門の聖ヨハネ教会という意味である。ローマの中世初期キリスト教会でも壁画がとても状態よく残る。
聖ヨハネが熱いオイルの中に入れられ迫害を受けた場所に建てられた、サン・ジョヴァンニ・イン・オレオ小礼拝堂が近くにある。
歴史
ダイアナの神殿があった場所に、ゲラシウス1世(Gelasio)の時代の5世紀末に建設され、772年にアドリアヌス1世が1191年に修復、1044年に完成。
1940年に大修復をし、現在でも所有している慈善団体ロスミニアンズ(Padri Rosminiani)のオフィスとして使われ始めた。Colleggio missionario Antonio Rosmini
★ 聖ゴルディアヌスと聖エピマコス
ケレスティヌス3世の時代(1106 - 1198年)に、362年のローマの殉教者、聖ゴルディアヌスとエピマコス(Ss.Gordiano ed Epimaco)の聖遺物が運ばれた。
8世紀にドイツのケンプテンに移された?調べる
外観
★ 5連アーチの柱廊と鐘楼のロマネスク様式の好例
ポルティコ(前柱廊)5つのアーチを仕切っているのは4つのそれぞれ違う素材を使った円柱。大理石や花崗岩などの円柱であり、柱頭は3つがイオニア式、1つがドーリア式である。
上部の3つのアーチ型の窓は中世の時代のもの。
鐘楼
テラコッタ(レンガ)の5階建ての四角い鐘楼 。下の方は11世紀、上階は12世紀にケレスティヌス3世が再建した。
1階は現在は閉ざされた窓ひとつのみで、2階は2連窓、上階3段は円柱と柱頭のある3連窓になっている。鐘楼内には、1723年の鐘がある。
中庭(教会正面)
立派な背の高い木があったが、現在は花壇となっている。
★ 井戸
ファサード前にある9世紀の井戸の2本の柱は、かつてこの地に存在したディアナ神殿の柱と4世紀の葉のデザインの柱頭が使われている。周りは洗礼台として使われていたであろう。
イザヤの言葉"IN NOMINE PAT(RIS) ET FILII ET SPI(RITUS SANT)I"と、"OMN(E)S SITIE(NTES VENITE AD AQUAS)"と彫られており、つまり、 "喉が渇いてたら皆お水を飲みに来なさい" という意味で、さらにステファヌス"EGO STEFANUS"とサインも彫られている。
屋根に使われた瓦の刻印は、テオドリック帝 (495~526年)の時代のものである。瓦は、書見台に使われるようになった。?調べる
柱廊
中世の古いフレスコ画が残るが残念ながら保存状態が悪い。
★ サン・ジョヴァンニ・イン・オレオのカスプ(尖点Cuspide)
ボッロミーニ作だと言われている近くの礼拝堂のカスプのオリジナルが、1967年に、建築家パオロ・マルコーニにより移設され柱廊に保管されている。
教会内部
オリジナルのシンプルな三廊式の内部で、木製のトラス天井。
身廊と側廊を仕切る10本の様々な石を使った円柱は、イオニア式。円柱はおそらくここにかつて存在したダイアナの神殿で使われていたもので、2本が1世紀頃、他は4世紀のものだと考えられている。
★ アプス
16~17世紀のフレスコ画。フェデリコ・ズッカリ作。
『Libro sigillato (l'indice dei segreti nascosti di Dio presente nell'Apocalisse)』
脇にふたりの天使と後ろに4福音のシンボル。
下には福音者がいたが、現在は聖ヨハネだけが見られる。
ヨハネの黙示録の24人の長老が金の冠を捧げるシーン。
身廊の12世紀のフレスコ画には、1905年の修復時に、ピエトロ・カッヴァリーニに影響された弟子たちによる、 ローマでも貴重な中世美術である新・旧約聖書の46場面が描かれたフレスコ画が発見された。
★ 熾天使のモザイク
左のパストフォリアにはセラフィム(熾天使)中世のモザイク。
主祭壇
コズマーティ様式の幾何学模様の床。祭壇の下のプレデラには、教会のタイトルとして "TIT. S.IOANNIS ANTE PORTAM LA(TINAM)"と、書かれているのが修復時に見つかった。
★ 教会敷地内の遺跡
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2020.08.29
2014.04
参考
公式HP
Wikipedia
Romano Impero
Turismo Roma
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